2018年 12月 の投稿一覧

それでも苦しい

息苦しさが続き、ついに耐えられなかったのか、
病院に連れて行って欲しいと言ってきました。
そして病院へ。
病院内を歩き回るのが辛そうでしたので、
車イスに乗ってもらい、押して回りました。
一通り検査と診察した後、「間質性肺炎」という事で変わらず。

医師が電子カルテに打ち込んでる文字が”stable”(安定)だった事を覚えています。
急に悪くなるものでもないが、良くなるものでもなく、
自宅で静養してください。といったお話でした。

帰宅して2,3日たったある夜だったか、
苦しくて耐えられないということで、病院へ。
既に診療時間も過ぎていましたが、
そこの病院は救急外来もあった為、そちらに連れて行く事に。

そして一回目の入院となりました。

明るめの病室で、息苦しいという以外は、まだ元気もありました。
酸素吸入器も付けていたかと思います。
鼻と口を覆うような吸入器ではなく、鼻の下にチューブを
貼り付けるものでした。

治療として効果的な方法は無いというような話でしたが、
ステロイドパルス療法を試すことに、

息が苦しい

父親を亡くすまで、亡くしてからの事を、自分の体験をぼちぼち書いていきたいと思います。
既に10年が経過しているので、記憶があいまいな部分がありますが、ご了承ください。
しかし、人間の記憶というのはうまくできていますね。
何もかも忘れずに覚えていては、悲しみや辛い事も消えずにずっと残ってしまいますので、、、

当時、父は80歳を超えていましたが、専門的な職業だったこともあり、
現役で仕事をこなしていました。
体力的には年相応で、健康食品やら健康法や、
普段から身体の事を気遣っているような人でした。

亡くなる半年程前からでしょうか、息が苦しいという症状を訴えていました。
父は腎臓が少し悪くなっていて、透析する程ではないです定期的に病院にかかっていました。
その時は、まだ自分で車を運転して病院に行くことができました。
同じ病院で、別途診察を受け「間質性肺炎」という診断が出ました。息苦しさの原因はそれだったようです。

仕事半分、自宅静養半分のような生活を続けてはいましたが、
相変わらず息苦しさは続いていたようです。
普段から少しでも体調が悪い時は、「体調が悪いんだ」というのを過大にアピールするような
人でしたので、本当は大したことはなくて、良くなるものだと私は思っていました。

ある時、病院でも測っているからと本人の要望で、パルスオキシメータ(血中酸素濃度を測る装置)
を購入しました。
具体的な数字は忘れてしまいましたが、正常値より低い数字を見て、
大げさに言っているのではなく「本当に苦しいんだ」というのをやっと理解した事を覚えています。

ちょっと脱線しますが、数値化してみるというのは、客観的に判断する上で大切なんだなと感じます。
体温だったり、血圧だったり、体重だったり、自分の健康に関する数字は簡単に測れるのですから、
常日頃気を付けておきたいものです。

相変わらず、息苦しさは続き、少々歩いただけで動けない程になってしまいました。。。

どこで死ぬのか

青空

自分が、あるいは家族が「どこで死ぬか」なんて考えたこともないし考えたくもないです。
特に現実的にご病気の方や入院中の近しい人が居たら、なおさら考えたくはありません。
「死」というものは避けては通れないものですが、忌み嫌らってしまうのは当然といえば当然のことです。

自身の経験上、嫌な事でも、「ああなったら、こうやって対応しよう。」と備えておくと、
意外にそういう事が起らなかったリしますので、
自分を含めた誰かが、ここで死んだら、、、と考えておくのも「嫌な事除け」として悪くないと思います。

さて、死ぬ場所ですが、
想像力を働かせれば働かすほど、場面が見えてきて、恐ろしくなります。
ところが、地球規模の壮大なレベルで、空? 地上? 地下? 海? そんな風に考えると逆に楽だったりします。
不思議なものですね。

日本には「畳の上で死ぬ」という言葉があるように、
自宅や病院のベッドで安らかに亡くなるというのが、万人の目指す理想的な死なのでしょうか。

病院であれば、ある意味流れ作業的に死亡診断書まで書いてもらえますが、
自宅となるといろいろ面倒なようです。
持病があってかかり付けの医療機関があって、往診してもらえるなら、そこで診断してもらえば
済みます。困るのは朝起きたら亡くなっていた場合。結局は警察のお世話になって、事件性が
無いか調べられるようです。

資産家だったりしたら、遺産を狙って、、、など疑われたら大変ですね。
もしご自身が「資産家」の認識があって、年齢的にも寿命に近づいているようなら、生前贈与したり、
遺言を書いておいたり、残された家族の負担にならないようにしておくのも良いかもしれません。

死とは

人間の「死」とは、なんでしょうか?

まずは生物としての死。
病院で「死亡」として判断されるのは、自発呼吸の停止、心拍の停止、瞳孔が開く、
という三兆候で判断するそうです。

最近では医療技術の発達で、脳が心肺を制御できない状態でも、
呼吸や血液の循環が保たれることから、「脳死」という状態もでてきましたが、
脳死の考え方は、国や宗教的背景で解釈も違うようです。
日本では、臓器提供する場合を除き、法律上、脳死は個体死ではないという扱いのようです。

今現在、自分は未だ死んだ事がありません。
臨死体験というものもありませんので、その時を想像することは難しいです。
いわゆるお迎えが来て、三途の川を渡って、という聞いた話から想像するしかありません。

人間は機械ではないので、スイッチを切った直後、真っ暗で何も無い状態には
ならない気はしてます。
徐々に「何か」が減って死亡に向かっている間に、走馬燈現象だったり、お迎えだったりの映像が、
まるで映画のエンドロールのように流れているのかもしれません。

人生良いことばかりではないでしょうが、
最後にわりと良い走馬燈映像が見られるように、
あるいは誰かの走馬燈映像に自分が笑顔で出演できるように生きたいな、
と思う今日この頃です。

あと、「社会的な死」というのもありますね。
社会の中で一定の貢献や活躍をして、地位もあるのに、、、
事件や事故を起こしてしまって、、、
という話も報道で目にします。絶対に自分はxxしないと思っていても
何か切っ掛けで事件を起こしてしまう。という事も無いとは言えない。怖いですね。

ただ、社会的な死の後、時間をかけて復活した方もいるでしょう。
そういう方々は温かい目で見てあげたいですね。